ネヘミヤ記  8:9~12

今年の3月に沖縄・宮古島に行ったとき、各所に広がるさとうきび畑の風景を見ながら、森山良子さんが歌った「さとうきび畑」という歌を想い起こしました。「ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ」という印象的なフレーズを繰り返しながら、全体で10分19秒というとても長い時間をかけて、沖縄戦の悲劇を歌い上げます。宮古島では地上戦は行われませんでしたが、それでも度重なる空襲で、甚大な被害を受けました。今、6月23日の沖縄「慰霊の日」を前に、あらためてさとうきび畑の風景を思い出しています。

日本でさとうきび栽培が始められたのは1610年、薩摩藩によってです。前年の1609年、薩摩藩は武力によって琉球王国を支配下に置いています。さとうきび栽培は、当時は琉球王国の領地であった奄美大島から始まり、次いで1623年から沖縄島で栽培が始められました。生産された砂糖は薩摩藩の専売とされ重要な資金源となりました。江戸幕府創設から間もないこの時期、外様大名として厳しい立場であった薩摩藩が自力を蓄えるために始められたのが砂糖事業でした。さとうきびの栽培と砂糖の生産には多くの労働力を必要とします。現在のように機械化されていない時代にあって、琉球の人々が過酷な労働に従事させられたのは言うまでもありません。

砂糖生産が過酷な労働であったのは沖縄だけではありません。同じ時代、ヨーロッパ諸国がアフリカやアメリカ大陸を侵略しました。カリブ海諸島では先住民族を駆逐した後、アフリカから黒人奴隷を輸入し、砂糖プランテーションが経営されるようになりました。、そこで生産された砂糖は莫大な利益を生む「世界商品」となります。砂糖の甘さをほしがる人間の欲望のために貧しい人々を搾取し、一部の者たちが富を独占するという侵略的経済構造が成立しました。その甘さに魅せられ砂糖を消費することは、隣人の命を消費することと同じでした。このように甘い砂糖は重い負の歴史の味が染みています。

さて聖書において甘味(それらは蜜や果実の甘さですが)は、悪や欲望と関連されて語られるものがある一方で、甘味が神さまの恵みを表す言葉もあります。わたしたちの教会の2024年度の標語「主にある喜びこそ力」も、実は甘さに関係しています。「行ってごちそうを食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分けてあげなさい。今日は、我らの主の聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜びとすることこそ、あなたがたの力であるからだ」王国の滅亡と捕囚によって生活と神の民としての誇りを打ち砕かれたイスラエルの民が、解放後に多くの困難と混乱を乗り越え、エルサレムの城壁を再建した時に預言者ネヘミヤが民に語った言葉です。神さまの甘い恵みは、戦禍に耐えて立ち上がった民を慰める神さまの味でした。

現代は砂糖に代わる種々の世界商品をめぐって、戦争が起こっています。みんなが甘い汁ばかりを欲しがる時、そこににがい争いが生じます。しかし神さまの甘い恵みは、にがく苦しい時間を強いられた人々にこそ与えられます。わたしたちが日々避けがたく遭遇する困難も、そして戦争の痛みが今も消えない沖縄も、祝福に満ちた甘い恵みへと導かれると信じます。(牧師 斎藤成二)

※このメッセージでは川北 稔 著「砂糖の世界史」(岩波ジュニア新書924円)を参考にしています。
そのタイトル通り、砂糖をめぐる世界の動きを歴史に沿ってまとめられています。ジュニア新書というシリーズであり、中学生向けに平易な文章でわかりやすく記されています。詳細な年や国際関係などは省きつつも、きちんと押さえておくべき歴史を教えてくれる良書です。