エフェソの信徒への手紙  2:1~10

この10月からNHKで放送が始まった「チ。-地球の運動について-」というアニメが話題になっています。もともとは2020年から雑誌に掲載されていたマンガで、その時から人気がありました。ストーリーは地球を中心に星々が動く「天動説」を唯一の真理と定める中世の世界を舞台に、「地動説」を主張する者たちを弾圧する「C教(つまりキリスト教のこと)」と、その弾圧に抗って地動説の証明に取り組む人々の闘いを描きます。フィクションなので様々な点で史実とは異なりますが、非常に読み応えがある作品です。

科学史的に言えば、地動説という考えは紀元前3世紀のギリシャの天文学者アリスタルコスによって提唱されました。しかし教会の勢力が衰える17世紀まで、西洋世界ではキリスト教的天動説が「唯一の真理」であり続けました。その中で興味深いのは、天動説派も地動説派も、それぞれの思想や理解を縛られてきた「共通の常識」があったことです。「正しい真理は真円である」というものです。その根拠は明白ではありません。しかし観測や計算に優れた学者たちも、誰もこの「常識」を疑いませんでした。天体の動きも、美しい真円を描いて動くことを前提に考え続けました。

その「常識」に立つと、どうしても惑星の軌道を説明できません。みんなが悩む中、16世紀にようやくドイツの科学者ヨハネス・ケプラーが楕円という理解を発見しました。師匠であるティコ・ブラーエの観測資料を入念に計算していく中で、真円運動では説明できなかった惑星の動きが、楕円運動を想定することできちんと説明できたのです。今となっては当たり前のことですが、古代ギリシャから始まってケプラーに至るまでの約1,800年間、間違った常識が人々を悩ませ続けていました。星々の運行における真理は、美しくない楕円の中にあったのです

現代に生きるわたしたちは、中世のキリスト教会のようにではなく、命と生活の中心に神さまを見つめます。しかしやはり、神さまを中心に美しい真円を描くような生活はできません。神さまに近づいたり離れたり、そんな楕円の命を生きています。それでよいのだと思います。明治期を代表するキリスト者の内村鑑三は主宰する雑誌「聖書之研究」の中で、この楕円について次のように述べています。「真理は円形に非ず楕円形である。一個の中心の周囲に画かるべき者に非ずして二個の中心の周囲に画かるべき者である。/人は何事に由らず円満と称して円形を要求するが、天然(神さまのこと)は人の要求に応ぜずして楕円形を採るは不思議である。楕円形は普通に之をいびつと云ふ。曲った円形である。決して美(うる)はしきものではない。然るに天然は人の理想に反してまる形よりもいびつ形を選ぶと云ふ。不思議ではない乎(か)」

使徒パウロは「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです」と記しています。内村が見抜いたように、神さまは真円よりも楕円を良しとされいます。中心点が一つなら、それは自分が中心になります。しかし中心点が二つなら、それは神さまと自分の共同の命を示します。神さまはいびつな楕円の生き様をするわたしたちを、それでも美しい作品として創造されたのです。(牧師 斎藤成二)