マタイによる福音書 8:21~22

10月最後の週はハロウィン(Halloween)が世界各地で楽しまれます。日本でも秋のイベントとしてすっかり定着しました。キリスト教会でも教会学校のイベントなどにハロウィンを取り入れているところがいくつもあります。

ハロウィンはもともと古代ヨーロッパのケルト系住民が守っていた収穫感謝とお盆を兼ねたようなお祭りでした。ケルトの神話ではこの日、死者の国の門が開くのです。またこの時期、暖かい季節から寒い季節へ移り変わる時に当たって、暖炉に火をいれる儀式が行われていたこともハロウィンの起源に含まれます。そしてケルトの人々がキリスト教に改宗していく過程で、そのお祭りとキリスト教会の「諸聖徒の日(永眠者記念日)」が融合しました。このように、ハロウィンは聖書に基づくお祭りではありませんが、歴史的には教会としっかりとつながっています。

わたしたちの教会では永眠者記念礼拝は行っていますが、ハロウィンや収穫感謝を冠した行事は行っていません。しかし、このような歴史を覚えるなら、それらと永眠者記念は切り離さないで覚えるほうがいいのかもしれません。季節の移り変わり、生きるための労働と収穫、そして命の終わりとその先の命とのつながり、そういった人生の一コマ一コマを一つのまとまりとして受け止めるのは意味のあることだと思えます。神さまから見れば、「死」という事態だけが特別に大切なのではなく、季節の中で汗して収穫を得ながら生き抜いた一人一人の生き様こそが大切なのではないでしょうか。

イエスさまに従う決意を固めた弟子の一人が「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言いました。大切なお父さんの葬りに行きたいと願うのはごく当たり前のことと思います。しかしイエスさまは「私に従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」と答えます。この弟子だけでなく、この言葉を聞いた全ての人が、この厳しい言葉に戸惑ったことでしょう。しかしその中にもイエスさまの深い御心があるはずと思います。

人の死はとても厳かなできごとです。それゆえに聖書の時代の人々も、わたしたちも、葬りを何よりも優先すべきことと考えます。この聖書でも「まず」という言葉が使われ、なすべきことの第一に葬りを置き、その後に主に従うことを始めようとします。ここにわたしたちが考えるべきことがあります。それは、死者を葬ることを一回きりの特別な行事と割り切って順序づけていることです。

「葬りが終わったからお父さんのことはもうお終い、では困るのだ」とイエスさまは言いたいのでしょう。葬ったらお終いなのではなく、天に召されたお父さんを覚えて生きる、そのようなあなたの新しい日常がここから始まるのだよ、と伝えたいのだと思うのです。「死者を葬る業と日々果たすべき業は別ものではない。大切な人の命と死をその日々の中で思い返しながら日常を生きていくことが大切なのだ」とイエスさまはこの弟子に教え諭しているのではないでしょうか。

人の死の厳かさは葬りの時だけのものではありません。イエスさまの言う「死んでいる者たち」は、厳かさの先にも続く命の光を見過ごします。しかし主に従う者は、ハロウィンが収穫の喜びと死者を偲ぶ思いを併せ持っているように、わたしたちの日常の営みの中に、大切な人の死を身にまといつつ、その命を受け継いで生きる者になりたいものです。(牧師 斎藤成二)