マタイによる福音書 7:7~12
『大きなことを成し遂げるために力が欲しいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大なことが出来るように健康を求めたのに より良きことが出来るようにと病を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに 賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに 得意にならないようにと失敗を授かった
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに あらゆることを喜べるようにと生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが 願いは全て聞き届けられた
神の意に沿わぬものであるにもかかわらず 心の中の言い表せないものは全て叶えられた
私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されたのだ』(無名兵士の祈り)
アメリカの独立からまだ100年に満たない1860年、奴隷制度の維持に反対の立場を取るエイブラハム・リンカーンが第16代アメリカ大統領に選出されました。奴隷制度によって日常が維持されていた南部の諸州はこれに危機感を抱き、合衆国から独立する動きを加速させました。その対立が1861年のアメリカ南北戦争となります。当時の南部は主要産業である綿花の栽培が軌道に乗り、それまでにない繁栄の中にありました。入植してから何代にもわたって厳しい環境の中で耐えて切り拓いた成果であり、それが「南部の誇り」となります。また「南部の誇り」はルーツを異にする開拓者たちを結ぶ絆でした。そして、その「南部の誇り」を支えていたのはアフリカから「輸入」された奴隷たちでした。
南北戦争は1865年の終戦までに両軍合わせて62万人近い死者を出したアメリカ史上最悪の戦争です。ベトナム戦争でのアメリカ兵の死者が約5万人ですから、南北戦争がいかに過酷な戦争であったかが想像できます。マーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」は、その時代の南部アメリカを強かに生き抜く一人の女性の半生を描きます。この小説をもとに映画や舞台など数々の創作が生み出されました。それらの描写の随所に「南部の誇り」がよく表現されています。冷静に戦争の見通しを立てることなく、勇ましい精神論が先走って戦争に突入していく姿など、「愚か」の一言では説明できない人間の本性や悲しさを感じます。
現代の視点で見れば、奴隷の存在を前提とした「誇り」など意味がないとわかります。しかし当時の南部の人々の多くは奴隷を「人」として認識できませんでした。「風と共に去りぬ」では、主人公の家族が神さまにお祈りをささげる場面があります。自らの過ちを悔い赦しを乞う祈りは、間違いなく誠実な信仰に基づいています。しかしその誠実な信仰があっても、奴隷を隣人として受け入れることはできません。そのような信仰の姿は、現代のわたしたちにも別の形で起こり得るものです。誇りを共有できない者とは、共に祈ることもできなかったのです。そして、その誇りに固執する姿勢は自らを滅びに導く、と南北戦争の歴史は示します。戦争は南部の繁栄を粉々に打ち砕きました。華やかな「南部の誇り」の時代は、爆風と共に去って行ったのです。
ここに「無名兵士の祈り」と題された祈りがあります。これは南北戦争で傷ついた南軍の兵士の祈りだと伝えられています。この祈りの背後に「まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる」というみ言葉が響きます。風が吹き、望んだものとは真逆の厳しさが与えられたとしても、それが最も豊かな祝福となることをこの祈りは物語っています。(牧師 斎藤成二)