主の御名を賛美します。
朝のテレビ番組で、何年後かの自分に向かってメッセージを送るというコーナーがあります。一般から選ばれた人が登場して、自分を鼓舞するような前向きな言葉を語ります。「積極的でいいなぁ」と思う反面、「その将来が意に反したとても厳しい状況だったらどうしよう?」と要らぬ心配をしながら見ています。
しかし大切なのは、将来に待っている結果ではないのですね。先行き不透明な時代の中にあって次の一歩を踏み出すために、将来の自分に語りかける言葉を紡ぎだすのだと思います。将来の自分に語りかける言葉を見いだすことは、今の自分を生かすための力の発見なのだと思います。
イエスさまはしばしば、自らの死と復活を予告します。その将来は決してイエスさま自身も望むものではありません。しかしイエスさまにとって大切なことは、不幸な将来を回避することではなく、そこに至るまでに誰と何を語り合えるのか?にあります。死と復活を予告されるその視線の先には、わたしたちがいます。死と十字架という結果だけを重んじるのではなく、それまでの主と共なる歩みを大切に、受難の時を過ごしましょう。(斎藤成二)