主の御名を賛美します。
飲食店に限らず、ほとんどの公共の場でアクリル板の仕切りがあるのが普通になりました。わたしたちの教会でも講壇前に立てています。飛沫感染の防止に少しでも役立てば、という思いで設置しています。しかし「相手がよく見えるけれど隔てられている」という状況が現代の人間関係を象徴しているようで、複雑な思いをしています。
わたしたちは時として、近い人間関係の中で、透明なバリアを張ったり張られたりしています。相手の顔はよく見えるし、声も聞こえます。しかしそこには触れ合うことを拒絶する透明な壁が存在します。表情は見せるけれど、握手はできない関係です。それは不必要に傷つけ合わないための工夫なのかもしれませんが。
「キリストは、私たちの平和であり、二つのものを一つにし、ご自分の肉によって敵意という隔ての壁を取り壊し・・・」敵意とは相手を憎む思いだけではありません。自分の領域に入ろうとする者を拒む思いのことでもあります。私は、痛い思いをすることがあるとしても、具体的に助け合える関係の方がいいと思います。そしてそのためにキリストの平和を祈り求めます。(斎藤成二)